2010年9月30日木曜日

寺田真由美展「LIVING ABSENCE」(NAP参加企画) 於、ギャラリーOUT of PLACE

今日は奈良市今辻子町の路地裏にあるOUT of PLACEで開催中の、寺田真由美さんの個展をみてきました。
寺田さんはその方面ではすでに高い評価を得ておられる方なので、僕がこんな駄ブログで批評するような余地はないかもしれませんが、普段はほとんどそれと認識することのない、実存の内奥にある、深い深い領域を光で照らされたような心地がしたので、ここでは覚え書き程度に感想を記してみたいと思います。

今回展示された写真は、まず最初にミニチュア模型をつくるところから始め、それをクローズアップして撮影した作品ばかりだそうです。

(以下の画像はどれもクリックすると拡大します)



作品の前に立つ人の姿が、まるで階段を昇ろうとする幽霊のように浮かび上がっています。この階段はミニチュアなので、窓の外の風景との距離感が不自然なため、シュルレアリスムの絵画か写真を思わせます。窓のある壁面が、単に部屋の内と外とを隔てているだけでなく、時空の断層をも表しているかのような。



映っているのは僕です。平面上の像を見るにつけ、己の存在の卑小さを突きつけられるような感覚に陥りました。サルトル哲学がいうところの〈対自〉というやつです。


この作品を見るとき、僕の視線は作品の平面を見ていると同時にそこに写された作品が表象する世界を見ているわけですが、その平面上にはそれを見る自らの姿が映るだけでなく、向かいの壁に展示された作品が合わせ鏡のように浮かんでいます。そして作品の中では地面にある濡れた?飛び石が空と光とを反映し、それは不鮮明で明確な像を結ばないがゆえに、けっして到達し得ない真理を強風を前にしたカオスの中でのみ僅かにほのめかす、泥沼の水鏡のように佇んでいます。さらには、ブログなどというちんけなメディアで僕がこんな記事を書くことによって、パソコンのモニターを通して見ている人の前にある世界をも反映するわけですから、寺田さんの作品行為のもつ潜勢力には計り知れないものがあります。
一つの平面上に次元の異なるいくつもの世界が写し込まれているというのは凄いことですね。


この煉瓦積みの壁もミニチュア。


この大判作品の前にはテーブルが置いてあり、そこでは翌日の搬入に向けてしりあがり寿さんのアシスタントさんお二人とギャラリーオーナーの野村さんが打ち合わせをされている最中なのでした。


角度を変えるとこんな感じ。まるでこの写真の中の部屋で会議をしているようです。ここに映っている人たちの姿は作品で表象された部屋に不思議と溶け込み、それを見る鑑賞者によって作品に生命が吹き込まれます。


上の写真を作品集でみるとこんな感じ。部屋の中は家具もなにもないがらんどうで、生活のにおいが何もしません。


これをみてマルセル・デュシャンの「Fresh Widowフレッシュ・ウィドウ」を連想するのは、僕だけではないでしょう。扉の隙間から差す光の筋が、象徴的な意味を示しているようです。


モノクロであることによって、日常を生きる中で自然と取り込んでしまう陰陽様々なモナドの影響で錯雑してしまった情念を冷やし、作品から放射されたアウラが意識の深層に静かに浸透していくような心地よさに包まれます。作品が喚起してくれるイメージは、まるでいつか見た夢のシーンか、あるいは落ち着き所を定めて久しい遠い遠い記憶のよう。

額装され空間に展示されたプリントは光が反射して表面が鏡のようになっているため、常に展示される空間とそこに居合わせる人との関係性によって作品が構成されるのに対し、製本された作品集では料紙が光を反射しないため、より作家の内面世界に迫りやすくなっているように思います。ですがあれかこれかではなく、それらは互いに互いを補完しあい、響き合うような関係にあるようです。
作品集『LIVING ABSENCE』はまさしく写真集なのですが、それは詩集のようでもあり、写真を詩そのものとして再定義する〈プラスティック・ポエム〉を提唱した晩年の北園克衛が拓いた地平にも通じているように思いました。
ぜひとも作品集を手にとりながら鑑賞したい展覧会だといえるでしょう。
今にして思うと、展示作品を眺めていた僕に、スタッフの方がそっと作品集を手渡してくれたのはそういうことだったのか、と合点がいきます。

今回の個展および作品集のタイトルとなっている"LIVING ABSENCE"には「生きている不在」「不在の居間」「不在の生活」「不在を生きる」などなど、livingという語の複数の意味が重ね合わされているようです。あるいはabsenceにも意味が重ね合わされているかもしれません。
鑑賞者の意識に映じる光と影の様相は、それが作家のファインダーが捉えたものなのか、展示スペースの照明が作り出したものなのか、容易には判然としないのですが、それは作品を享受する行為の一回性を保証する効果をも生みだしているようです。会場に居合わせた人が、そこに居るはずのないものとしてまさに作品の平面上に写り込むことの面白さに魅了された、忘れ得ぬ時間となりました。寺田さんは〈空間の詩学〉を、その言葉のもっともラディカルな意味で熟知しているのにちがいありません。バシュラールがもし生きていたら、にっこり微笑んで寺田さんをカフェにでも誘ったことでしょう。

いやあ、ほんと、素晴らしい芸術に触れると言語表現を欲する内圧がじわりと高まって、その後少し時間をおくと泉のように言葉が湧き出てきますね。


10/9(土)、15:00~16:00に作家を囲んでのパーティとサイン会があります。入場無料。必ず行きます!

この展覧会はギャラリーOUT of PLACEにて10/17(日)まで。

作品集、『LIVING ABSENCE』(2009年11月刊)は会場で購入できるので、ぜひこの機会に! ¥3990ですがお買い得感は充分すぎるほど。

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