2011年1月17日月曜日

道北英治展  於、ギャラリー勇齋(奈良)

昨日は奈良市旧市街にあるギャラリー勇齋で開催されている道北英治(みちきたえいじ)さんの個展に行ってきました。


四つのパーツからなるブロンズのオブジェ。

これは先のと同じ型から鋳造したもので組み方を変えています。ぱっと見たところ不安定に思えますが、実はしっかりとバランスがとれています。

黒御影石の作品。

上に載っている小さい石は回転させても落ちません。

これは四つのパーツからなるブロンズのミニチュアで、やはり全て同じ型から鋳造したもの。

赤っぽいのと緑っぽいのと、表面の錆の風合いは二種類ありました。
 
手にとって積み木のように遊べるミニチュア(これも同じ鋳型から)。小さいのにずっしりと重かったです。

ほろ酔いでも簡単に組めました。楽しい!


廊下に展示されていた赤御影石のオブジェ。これは採石場で得た端材を使ったものだそうです。下の写真はこの上方壁面に掛けられているもの。




森羅万象、世界の様々な現象に通奏するものを抽出したかのようなミニマルなオブジェをエレメントとし、それらを組み合わせることで形をつくる道北さんの作品は、素材、形象、ともにシンプリシティが極められたものであるからこそ、見る者があらかじめ持っているビジョンと自然に融和融合し、多様なイメージの結像と解釈を可能にします。作品が発するアウラが、実に穏やかでさりげなく意識へと浸透していくことが心地よく感じられる、至福の時間を過ごすことが出来ました。
それらのオブジェは特定の思想、特定のコンセプト、特定のイメージといったものを抽象化して提示したものではありません。そしてそれは、閉塞した現代社会で日々生きざるをえない僕らが何かを表現しようとする際、時に否応なくまとわりつかせてしまう性急さ、拙速さ、粗忽さといったものとの妥協や折り合いなどというものが一切みられません。
そのような芸術がいかにして可能になったのか?そんな問いかけが心に深く落ちていきました。


今回の個展でメインとなっているブロンズという素材は、ずっと石にこだわりつづけてきた道北さんにとっても新しい挑戦だったといいますが、それは少なくとも僕のような素人の立場からすれば、立体抽象という一般には馴染みにくいとされるジャンルへの先入観を崩す効果があったことは確かです。
また、こうも思いました。具象芸術は一般にわかりやすい、取っつきやすい、と思われがちですが、見る者一人一人に固有な世界観に自然に浸透していくアウラを静かに放出する道北さんの抽象芸術は、しばしば作家の世界観がストレートに表現されるがゆえに作品世界に入り込みにくいある種の具象芸術よりも、むしろ親しみやすいのではないかと。

展覧会にタイトルもなければ作品にもタイトルはない、全てが無題ということの意味はとてつもなく広く、深く、大きい。作品一つ一つの印象も含めて、今回の個展からは禅的なものを感じました(それはこの瞬間もずっと余韻として響いています)。

歴史における時間の多層性を明らかにしたのはアナール学派の歴史家フェルナン・ブローデルでしたが(「長期持続」)、道北さんの芸術は、悠久の時間が育んだ鉱物という素材、長い作家生活で培われた技術や思想、そして日々流転する自然や世界の様相とそれに感応する作家の感性、そういった多層的な時間が結び合うなかで彫琢されたものなのでしょう。そこには美とともに崇高さもまた凛としてあります。
30年以上もの長きにわたり、特定の素材にこだわりながらオブジェというものをシンプルに考え、そして地道に、ぶれずに制作を続けてこられたからこそ到り得た境地であることを思うと、深い尊敬の念が湧き起こってきます。

誰であっても、ここに来てこれらのオブジェと時空を共有すれば、何かが開けるのではないか、そんな風に思いました。表現ジャンルの如何を問わず、若い作家にはぜひとも足を運んで欲しい展覧会です。





ギャラリー勇齋にて、1/23(日)まで。

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