2011年10月16日日曜日

黒の本質  ― オーディロン・ルドン

黒は本質的な色だ。黒はとりわけその高揚感と生命力を、あえて言うなら、健全さの深い隠れた源泉からくみ取っている。黒の生命の内にこもった熱は、正しい食事療法と休息、いわば力の充溢にかかっているのだ。その熱が木炭を作り出すのだろう。それゆえ、短いにせよ長いにせよ私たちの仕事の中心に、黒はその充実した最良の美において現れる。後に老年になって、栄養の摂取がしづらくなると、黒は人を疲弊させるものになる。それでも黒い素材を並べる、ことばの正確な意味において、並べ上げることはできないだろう。しかし木炭は炭のままであり、石版工の黒は何も伝えはしない。要するに素材は私たちの眼に、それが見えるとおりのものにとどまる。無気力で生命のないものに。それに対して、沸き立つように幸福なとき、幸福な力に溢れているときには、生命力そのものからわき出る存在がもつ生命力であり、その力である。つまりその精神、なにか魂のようなもの、感受性の反映、いわば物質の残滓のようなものなのだ。
黒を大事にしなければならない。黒は何ものにもけがされることがない。黒は目を楽しませてくれるわけではないし、肉感性を目覚めさせてくれるものでもない。黒は、パレットやプリズムの美しい色以上に精神の活動家なのだ。




(『私自身に』/藤田尊潮編訳『オディロン・ルドン【自作を語る画文集】夢のなかで』〔八坂書房〕より)



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