2012年7月29日日曜日

第6回「評論を書くことを考えてみる会」2012.7.28 於、画廊編&ぎゃらりかのこ (大阪・日本橋)

大阪・日本橋のギャラリー「編&かのこ」が大阪大学美学研究室と提携して昨年から継続的に取り組んでいる「評論を書くことを考えてみる会」の第6回目が行われた。

美学研究室の学生や卒業生が、ギャラリーで開催中の展覧会の批評文を書き、それを批評された作家も交えて参加者全員で論じ合うという会である。司会は教授の上倉庸敬(かみくらつねゆき)さん。

これは街のギャラリーで開かれる現代美術の展覧会を同時代的に批評することを通じて、制作・展示と鑑賞という行為の関係や批評言語の可能性と不可能性といった問題を深く考える、言葉のワークショップのようなものと考えていい。

参加者の顔ぶれは美術作家、その友人、ファン、ギャラリスト、編集者、コレクター、現代美術以外の表現者など毎回多彩で、今回は芥川賞作家の吉村萬壱さんの姿もあった。

昨年、この会が始まった頃は趣旨が今ひとつ理解されなかったり、書き手も不慣れであったりしたためいろいろと混乱もあったが、6回目となる今回は丁寧に作家や作品と向き合った文章が集まり、そこから闊達な意見の交換が生まれる充実したつどいになった。


和紙と針金で造形された福田十糸子さんの立体作品。 評者は國本理恵子さんと米田千佐子さん。

私たちはまず、人形があるということを認識し、つぎに人形の身体を視線によってなぞり、そして人形が表現せんとするするところに思いを巡らせる。このやり方は、私たちが普段社会生活を営むにおいて、相対する人間の表情や仕草から気持ちを読みとろうとする、いわゆるコミュニケーションといわれるものと全く同じプロセスである。」(國本理恵子)

立体にいつしか親近感を持っている。まるで私たちがすれ違う誰かのように。気付かぬうちに縁を結んでいる誰かのように、彼らに接し出す。彼らは意味の分からぬ形と「誰か」としての私たちの中を行き来する。」(米田千佐子)


廃墟の壁のひび割れやガードレールのひび割れた塗膜をデジタル撮影したものをカラー印画紙に焼き付け、表面を削った松原正武さんの"彫刻写真"。評者は矢野綾さん、鶴田悦子さん、小田昇平さん。

廃墟の一部を写真のフレームで切り取られ、ひび割れパターンの変化や、彫刻部分と非彫刻部分の間に生まれたエネルギーの高低が、乾いた溝を水が伝わっていくように、画面上で線がのび、互いに絡み合い、空間が網羅されていく、その直前のような静かな勢いを作りだしている。」(矢野綾)

一度は真っ平らになったひび割れが、もう一度デコボコのあるひび割れに戻されてゆく。それはまるで、写真に切り取られて時間を止めたはずの壁やガードレールが、再び朽ちはじめるかのようである。」(鶴田悦子)

眼に捉えられないものを捉えるキャメラでさえ捉えられないもの、それを追い求めるために作家は、違う世界から制御できない力を借りてくる。印画紙をサンドペーパーで削ることで、モノクロの世界に色をもたらす。デジタルにアナログをもたらすことで、意識に無意識を混入させる。それをさらに取り込んで、再び印画紙に焼き付ける。これまでの過程をもすべて取り込んで、再び写真が立ち現れる。作家の実験は、ピントが合わない境界を捉えようとする。捉えんとして写真を、がりがり、がりがり、掘り進む。」(小田昇平)

GALLERY Ami-Kanoko

福田十糸子展 「夏百歩」 7/16~7/28
松原正武展  「時の刻印 〔彫刻写真〕」7/16~7/28

作家の松原正武さん(左)と上倉庸敬さん(右)。参加者一人ひとりとハートフルに交わる上倉さんの司会が美事であった。

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