2013年7月18日木曜日

Director’s Eye #1  結城 加代子「SLASH/09 回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を」 於、the three knohana (大阪・此花)

特定のギャラリースペースを設けず、独自の視点と方法で展覧会を企画するディレクター・結城加代子さんによる関西初となるグループ展がthe three konohanaで開催されている。
このグループ展シリーズ「SLASH」は、結城さんが作家をセレクトしながらも、自己の一元的な視点にはよらず、作家たちの自律的な創造性に由来する異質な視点を共同によって練り上げていくところに特徴がある。今回の「SLASH/09」では小林礼佳さん、斎藤玲児さん、藤田道子さんの三人が抜擢された。

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展示室に入ってまず最初に目にするのは奇妙な文字列が記された防災ヘルメット。これは詩人としても活動する小林礼佳さんの作品である。
小林さんは、予期せぬ災害から身を守る備えとしての防災グッズに、日常の様々な出来事から繊細な心を守るため、つねに綴られるものとしての詩を載せる。
 「千代子れ絵と」「パイナップル」・・・
ここにあるのはじゃんけんで階段を昇ってゆく遊びの、あの無意味な、それでいて脳裡にこびりつく響き。
そこから右に折れた場所にある非常用飲料水タンクには、作家が日常の中で綴った詩の断章。
もしもし      もしもし
この・・・・・・に落ちてくる信号を指で触るように確認した
・・・・・・・・・・・・・・・ひとつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その向いの壁にあるのは数多の細い色糸を張りつめた藤田道子さんのインスタレーション。
時々刻々と変化する光の様相と、直線的に張られた糸の色の様相とが、いわく言い難い情緒を喚び醒ます。
色糸は「琴線」の換喩であると読み解いてもいいだろう。
梁方向に張られた糸は頭が触れそうな位置にあり、それより先への進入を拒絶する。そこで糸が発動する警戒信号と、それを感知して生じた距離感とによって、モノと知覚との相即性を否応なく思い知らされる。
 藤田さんのインスタレーションとは反対側のサイド、二つの壁面に投影されるのは斎藤玲児さんの映像。
これは日常的に撮り溜められた動画や静止画をつなぎ合わせたものだろうか。あらかじめ秩序立った世界から切り取り、自己の主観の下に再編するという行為の意味を、基礎的なところから確認するように綴られた感がある。撮影されたモノや風景それ自体の意味は不明瞭だが、それだけに鑑賞者は"見る"ということ、そこにまといつく様々な問題の探求をまるで反照のように実存へと返されてしまう。

斎藤さんの映像が投影された二つの壁のうち右側の壁の向かい、東側の壁には小林さんが直射日光に晒し褪色させた銀色のエマージェンシー・シート(災害時・遭難時の防寒・暴風用シート)が張ってある。
これはギャラリーから少し東、六軒家川沿いの堤防上にある集会所兼カフェレストラン"OTONARI"の窓に見立てられたもので、透けるシートから覗き見えるテキストは小林さんが此花滞在中に書いた詩文である。空気の微かな揺れにも反応する軽いシートの動きによって、壁のテキストが見えたり隠れたり。

窓から見えるどぶ川を臨む

  暗い金がたなびくススキの穂
  腐った魚の臭い
  太陽に照らされた鼠の色

川の流れに逆行するダンボール

ダンボールは逆流しているのではない

動かないのだ、その位置から


流れに身をまかせながら、動かず不動の位置

植木鉢に植えてある造花のよう

  私の見えているものが見えてない
  見られているものが見えている

    夜、街灯に照らされて水面が輝く

     こちらの姿が本当のどぶ川?

         川ではなく海なのです



奥の畳の間へ入ると、そこでもまた妙に落ち着いたものたちと出会うことになる。
畳の間を抜けたところにある板の間を経て、ベランダから階下へと通ずる階段の下がこの展覧会の最深部であり、そこで流れる映像(斎藤さんの作品)を見た後、折り返しもと来た順路を戻ってゆく・・・。

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"回路"とはまず第一に作家の制作における思考の回路を意味すると思われる。そして次には、空間に配された作品と、鑑賞者が引いてゆく観覧の動線とによって自在に組み変わる関係そのものを意味するのだろう。それは作家の思惟や情緒が外部化されたものとしての作品と、鑑賞者の視覚と身体動作によって内部化される、相互的で円環的な働きが形成する回路である。そこから作家の制作における思考の回路を辿ってゆく手がかりが得られ、ひいては自己の内面の、断片化された記憶に曲線状の秩序が与えられることで外部世界との通路をつくりだすことも可能になる。その流れに現れるのは、社会性への/からの回路といっていいかもしれない。
そこにまで至ると、作品=静、鑑賞者=動、という布置すらも安定したものではなくなることだろう。私たちが自明だと思って疑わないものを支えていた仮構が、たとえ穏やかにであっても揺らぐことは避けられないのだから。だがあくまで回路であるからには、揺らいでおしまいとはならない。

言葉、モノ、光、音、空気、それらと知覚との相互作用を編みつほどきつしながら、とてもていねいにつくられたこの場所では、現代美術界にしぶとく延命しつづけるツリー状思考(一元的・超越的な立ち位置からの統合的な思考)からの脱却が賭けられているように思う。

結城さんは、モノの優位、言葉の優位、といった囚われがちな優劣関係の外側に出ることで作家たちとの共同を成功に導いたのだろう。
そしてギャラリーオーナー・山中俊広さんの存在も、ここに独特の味わいを付加しているに違いない。

the three konohana  KAYOKO Y UKI 6/7~7/21



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