2015年6月21日日曜日

森村誠 展「Argleton -far from Konohana-」 於、the three konohana (大阪・此花)



展覧会タイトルの"Argleton"とは、2008年にGoogleマップ上で発見された実在しないイギリスの町の名である。架空の町でありながら、マップ上に出現後不特定多数の人々が店舗情報などを書き加えていったことによってその現実感が増していったという。

今回の森村さんの新作シリーズは、用途も目的も異なる様々な印刷物に掲載された地図を切り取って、そこから文字情報を修正液で消去した断片を、あるいは文字情報を残したままの断片を、針と糸で縫い合わせていったものによって構成されている。
用いられた地図はすべて関西圏のものであるが、当然のことながら縮尺はばらばらである。ただ、それぞれの断片同士は必ず線路や道路によって接続されるという法則が徹底されているため、連続した地図断片の集積がひとつの世界観を表していると見ることができる。あるいは個々の世界観を投影する大きな地図であるとも。

考えてみれば、私たちの脳内地図というのは、実に個性的で、それは主観によって編集され続けるものであるほかない。町で生活すること、移動することといった、経験と地図イメージとの複合によって、地理感というものが形成されていくからだ。だから、もしも他人の脳内地図を覗き見ることができるとしたら、それが誰のものであれ奇妙奇天烈なものであるに違いない。

そうすると、地図に嵌められた刺繍枠は、人間の意識や主観、あるいは脳を象徴していると読み取ることもできる。

それは、子どもの頃に住んでいた町の道路が、突然、今住んでいる町に繋がっていたりする、夢の中の地理をも彷彿とさせる。

用いられた地図がすべて大阪を中心とした関西圏のものであるという事実に着目すると、ギャラリーが立地する大阪で、ひいては関西圏で現実に進行しているジェントリフィケーションの深刻な問題とも、接点が生まれることになる。実際に、ジェントリフィケーションの象徴ともいえるタワーマンションの広告に掲載された地図が作品に使われているかもしれない。

また、修正液が落とされた地図は電子基板を想起させるが、電子基板とは回路であり、その形態はしばしば都市にも比せられる訳だから、こういった連想はつねに強度の現実を眼前に招来させるステップになる。それは、主観的な造形物がもたらす客観の強度といってもいい。

架空の町でありながら現実味を帯びてしまった"Argleton"の名を冠した展覧会で、森村作品が提示する架空の地図は、鑑賞者との間で意味の創出を喚起するものになるだろう。

不確かな情報が溢れる現代を生きる私たちは、いつも地図を欲している。


Konohana’s Eye #8 森村 誠 「Argleton -far from Konohana-」 the three konohana  2015.6.5~7.20


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